モカの日記

誰かに気を遣うことのない、思ったことをそのまま書いてみるところ。

改めて 映画「3月のライオン 後編」 何か取り違えているんじゃないだろうか

連休初日、初回の上映を見にいった。

確か前編も公開2週目にいったと思う。

座席をネット予約するときに気がつくのが、「座席減ってるなー。」

前編も同じシネコンで見たけど、もっと座席数のあるスクリーンだった。

興行的にはイマイチらしいのは本当なんだなー。

 

で、後編鑑賞。

最近見てるレビューブログで「傑作」と書いていたので、「お、前編よりいい出来なのかなー?」と期待して行きました。

前編は色々ともやーっとしたので、後編は改善されてるかなー?、原作と違うオリジナル展開の結末ってどんなんだろう?とワクワクしてました。

 

139分という長さだそうですが、多分半分くらいには思いました。

 

長いよ‥‥帰りたい‥‥

 

このくらいの長さって、面白ければ全然気にならないんだけど、早々に飽きた💧

でも、でも、オリジナル展開も気になるしーと頑張って集中!

‥‥‥なんじゃこのオチはー!

 

ネタバレいれつつ細かい感想つれづれ。

 

前後編って本当に続きから始まるのねー。

なんの説明もなく進むので、はなから2本分お金払わないとわかんない前提ってどうなのかなー?とモヤモヤする。

 

まず気になるのは、前編でも気になったエピソードの詰め込みが健在。

あれもこれもいれたいのはわかるんだけど、どう考えても多いエピソードを無理に入れるので、それぞれのエピソードが表面さらっただけ。

エピソードの掘り下げがないから、マンガのダイジェストを見てるみたい。

原作未見だと話がわかるんだろうかと心配になる。

 

で、そのせいで割りを食ったのが島田八段、二階堂、林田先生。

本筋に全く絡まず、顔見せただけ。

このあたりは人気キャラだし、出さなかったらどれだけ文句出るかわからんから入れとけってことだろうなー。

その結果、前編に引き続き、このキャラはこんなことしないでしょってエピソードばかり。

二階堂はただただ出てくれば怒鳴ってるだけ。

ただでさえ特殊メイクが変なのに、気持ち悪いウザキャラになっていて可愛げゼロ、こんなの二階堂じゃないし。

そもそも前編から二階堂の背景の説明がほとんどないので、なぜ執事がついてるのか、リムジンに乗ってるのか、後編では豪邸に秘密基地みたいな壁一面モニターの部屋が出てくるんだけど、そのコントみたいな部屋がただ浮いている。

 

原作に零と宗谷名人との記念対局のあと台風で足止めを食って、宗谷名人が耳が聞こえないことを知る、というエピソードがある。

好きなエピソードなんだけど、やっぱり入らなかった。

まあそれは仕方ないけど、そのために、映画では耳が聞こえないことを島田八段が零に話す。

これがまたイラっとした。

島田八段の出番を増やすためだけなのが丸わかり。島田八段はそういう話を勝手に人にするような人ではないのに。

 

林田先生に至っては、学校のエピソードがほぼカットなのでいる意味がわからない。

だったら先生ごとカットしてしまえばいいのに。

 

前編見たときの大きい不満の一つに、ユーモアがカットっていうのがあって、それは後編もそのままなんだけど、

さらに前編でも浅かったキャラの掘り下げが後編ではさらに酷くなってる。

羽海野チカの魅力の一つ、ユーモアを外し、さらにもう一つ魅力的なキャラクターも端折る。

この制作チームは羽海野チカの魅力を潰す気なのか?としか思えない。

おざなりに顔だけ出すならまるっとカットして、絞ったキャラだけをきっちり書き出してくれた方がよっぽどいい。

 

エピソード自体では、原作にある大きいエピソードが2つ、ひなたのいじめ問題と川本家の父親帰還問題。

 

先ずはいじめ問題。

これがまたアッサリでうんざりした。上っ面だけ。

 原作ではかなり前から少しづつ気配を入れているのだけど、映画では前振りもなく唐突に始まりあっという間に終わる。

はぁ?って感じだ。

これに限らずどれもこれもエピソードの羅列なのだ。平行して起こってる感じが全くない。

一つ済んだらはい次、みたいな切り替わり。

だからダイジェストに見えるし、掘り下げが全く見えないのだ。

簡単に済んでしまうから、零が救われる意味が伝わらない。

浅い浅い。

 

そして父親帰還。このエピソードはかなりオリジナルが入ってる。

それが全くダメ。

原作では零もまるで家族の一員のように最初から最後まで川本姉妹と共に父親と対峙しているのだが、

映画のオリジナル展開では川本姉妹の前で父親を非難して、父親を悪く言われた事に耐えられなかったあかりとひなたに拒絶される。

この拒絶の意味がわからん!

 

この先、拒絶され再び孤独におちいった零は「自分にはやはり将棋しかない」と思い詰め、学校も辞めると言いだし、獅子王戦トーナメント決勝で後藤と対局し、苦しみながらも勝ち、宗谷名人への挑戦権を手にするのだ。

なんだこれ?なにこの陳腐な展開。原作まるっと無視かよ!

 

明らかに、結末(宗谷名人と対局)を設定して、そこに至るにはどうするか、無理やりエピソードを繋げて辻褄合わせただけってのが丸わかり。

ドラマの展開のセオリーとして、クライマックス前に主人公が一旦奈落の底に落ち、そして這い上がる。
それをやりたかっただけ。

そのために無理な繋げ方をするから、原作の訴えていた事も、それぞれのキャラクターも曲がってしまっている。

原作でここのエピソードまで積み上げてきたものをまるっと無視している。

 

まず、零は確かに空気の読めない変わり者ではあるけれど、ここまでの間、川本姉妹との交流で人間として成長したのだ。

その零が川本姉妹の目の前で、いくら問題のある人間とはいえ彼女達の父親を非難するほど愚かではない。

原作ではちゃんと父親と2人だけのタイミングで非難している。

そして、川本姉妹は零を拒絶はしない。

それは絶対なんだ。

 

家族もなく、養家ではうまくいかず、学校ではイジメられ、将棋以外になにもなかった零を、将棋を介さず受け入れてくれた初めての人が川本姉妹だ。

自分は他人とは関われないと思い込んでいる零を最初から肯定して、人に頼ったり頼られたりしていいんだと、そういう関係を築く。

長い時間を積み重ねて、ある日突然消えてしまった本当の家族の代わりになったのだ。

それは両親を失った川本姉妹にとっても必要な関係だった。

お互いが支え合って、零の家族と川本家の再生を成し遂げた。

だから父親の問題にも当事者として首を突っ込む。

独りだった零がそこまで出来るようになったのが成長なのだ。

それを、想定したラストから逆算してクライマックス前に一旦谷を作りたいというだけで、原作で積み上げてきたエピソードと真逆のオリジナルを入れる。

なにふざけてんだ⁈

 

父親が現れたことを、原作では入院中の祖父に心配かけないために伝えない。

だから零と叔母の美佐子が姉妹を支える。

映画では祖父の入院エピソードは無いのだけど「心配かけたくない」とあかりは祖父に隠す。

けれど姉妹と祖父の信頼関係を考えれば「心配かけたくない」程度でそんなこと隠すようなことはしないはずだ。

これも祖父が父親と対峙してしまうと零が首突っ込む余地がなくなるからだなって素人にもわかる。

とにかく前編に引き続き、もっていきたい展開への改悪が多すぎる。しかも下手くそ!

オリジナルエピソードが出るたびにイライラする。

 

零が「学校を辞める」と言い出すのも陳腐としか言いようがない。

本来、ブロ棋士として生計を立ててるのだから高校に行かなくても良かった。

それを1年遅れで受け直したのは「逃げなかった記憶」が欲しかったから。

これは原作でハッキリ書かれていて、後々いじめから逃げないひなたのエピソードと繋がってくる、大事なメッセージだ。

それなのにやはり 「クライマックス前に一旦孤独にして主人公を追い込みたい」という展開の都合で簡単に「学校を辞める」と言わせる。

原作の零は迷ったり、立ち止まったりしても、逃げはしない。それが彼の成長なのに。

 

川本姉妹に拒絶され、学校を辞めると言いながら、零は獅子王戦の挑戦権をかけて後藤と対局する。

ここを見て「あー零が負けないかなー」と思った。それならこの映画、ちょっとは見直せるかなぁと。

でも映画のまとめとして勝つんだろうなぁとも思ってて、やっぱり勝った。

本当にこの映画はクソだと思った。

 

この物語は零の成長物語だ。色んなことを経験して成長する。

零の1番の成長は「自分が孤独ではない」ということを知ったことだ。

川本姉妹や林田先生といった将棋以外でも自分を気にかけてくれる人がいることを知った。

そして、将棋を通じて同じ方向を向いている仲間がいることも知った。

それこそが零の成長で強さの元なのに、話の盛り上げの都合だけで孤独にさせて、その状態で勝たせてしまう。原作の訴えてるものは何なのか、全く理解していない。

おそらく、「対局中に悩んで悩んで、1人じゃないことに気がついたから勝てた」とでも言いたいんだろう。

そんな安直なことじゃないんだよ。

 

香子と後藤のエピソードについては「蛇足!」としか言いようがない。

妻が亡くなって、一旦拒絶して、結局くっつく。どこの昼ドラだ?

よくまあ、こんな陳腐なエピソードの連続ができるなぁ。

 

幸田父もこんなにふくらます必要あったのか?

ふてた子供2人との和解も、そんなんで解決するなら何年もひっぱらないって!

 

ラスト、宗谷名人との対局用に着物を仕立てる零に幸田父が「やっぱりお前は将棋が好きだよ」と言う。

この映画のダメなところが凝縮されたセリフだ。

将棋が好きとか嫌いとかそういう問題の話じゃないんだ。

 

確かに零は元々そう将棋に執着はなかった。

小さい時は父が好きだから、家族を亡くしてからは養家で認めてもらいたいから、そして家を出てからは生活のため。

将棋はそのための道具だった。

だから、その将棋で幸田家を壊してしまったことを悩み、周りの将棋を好きでたまらない棋士たちに気後れをする。

それでもいざ対局になれば「勝ちたい!負けたくない!」という気持ちがどうしても出る。

そんな勝負師の業がどうして自分にあるのか?

自分にとって将棋はなんなのか?

どうして進まずにはいられないのか?

そんな葛藤の物語なのだ。

それを「将棋が好きだよ」の一言でまとめるか?アホか!

 

この前後編、特に後編のオリジナル展開に顕著なのが、「原作わかってないだろ!」という感じ。

羽海野チカはインタビューなどを見ても、計算づくで作品を作れる人ではないようだ。

作者自身の迷いや苦しみ、それに希望、そんなものが混沌として整理しきれないもの、そういうものが作品に出ているから惹かれずにはいられない。

人間は理屈で整理しきれないし、迷うし間違うし立ち止まる。

でも前に進もうとする人間が魅力的なのを作者はちゃんと描き出してくれている。

そんな原作の魅力をこの映画は1ミリもわかってない。

だから腹がたつんだ。 

 

自分の好きなマンガだと「海街diary」の映画を見た。

もちろんキャスティングとか細かい不満は色々あるし、映画にするので変えた部分も結構あった。

でもすごくいい映画だった。

作ってる人達は、この原作の核をちゃんと掴んでいるのがわかるからだ。

3月のライオン」は真逆だ。全くわかってない。

だからとりあえず人気キャラは全部出して、エピソードはなるべくたくさん入れて、その結果上澄みだけの映画が出来た。

そんなの面白い訳ないだろう。

 

キャスティング、どうしても気になるから書く。

あかりさん、前編ではいいと思ったけど後編では厳しかった。

倉科カナって、どうしても「男に媚びてる感」の出てしまう人だった。だから男性人気のが高いんだな。

モモちゃん、どうせセリフは多くないんだから、とにかく可愛くて愛くるしいコにして欲しかった。正直、ブサ‥‥‥。

幸田父、豊川悦司は好きだけど、どうしてもギラギラ感が出てしまう。ルックスってやっぱりスペックとして大きいから。

二階堂、ほんとありえない。染谷将太って何をやっても染谷将太じゃね?

川本父、伊勢谷友介、父のイヤーな感じが素晴らしかった。のに、展開グダグタで無駄遣い。

 

あー、なんか書いてて虚しくなってきた。

まだ、書けてないツッコミどころは色々あるけれど、きっと書いても書いても不満は収まらない。

あのステキなステキなマンガが、どうしてこんな映画になってしまったのか。

哀しいはとうに通り越して怒りしか湧いてこない。

年に10本も映画は見ない素人だけど、ここ数年で1番のつまらない映画だった。

 

 興行収入がイマイチで、もちろんそれは映画の出来とは直結しないけど、

だけどなぜかこの映画を傑作という人が結構いるので、じゃあ人が入らないのは原作が人気がないことにされてしまいそうなのが、本当に嫌になる。

思わず原作読み直しちゃったよ。

映画がつまんなかった人こそ、原作読んで欲しい。

まるで別物だ。