温泉とテレビが好きな私の日記

誰かに気を遣うことのない、思った事をそのまま書いてみるところ。タイトル変えました。

「あさイチ」で北川悦吏子の裸の王様っぷりを見て空しくなった……でも大河は許さんよー!(笑)

気持ちはもはや「まんぷく」で、すっかりリタイヤしていた「半分、青い。」ですが、今週水曜日の147話が大変ネットをザワつかせ、バズった番組を再放送する枠でもやるという事で、どんなものかと夜のBS再放送で久々に視聴。

ついでに木、金と見て、怖いもの見たさでに「あさイチ」プレミアムトークも録画。華丸さんの勇姿が見たいという好奇心が抑えられなくて(笑)

 

で、感想はですね。

「ふーん…」としか言いようなかったです。

話題のキスシーンですけど、朝の作業場で徹夜して寝ている男とやってくる女、その後の物音で我に帰る……という展開で浮かんだのは「おっ、『カーネーション』?」でした(笑)

そして巷で言われてる「キュンキュンきたー」とは全く思えず。なんというか、うーん「使い古されたネタだなー」としか……💧

いや、このドラマが好きじゃないとか以前に何にも目新しくないエピソードじゃない?どーしたんだ「(20年前の)恋愛の神様」!本領発揮のシーンじゃないのか⁉︎

寝ているところにコッソリキスしようとして、気づかれて、でも否定せず向こうから受け入れてきて……って少女マンガの展開パターンよね。突っ込むとこかな?

いかにも北川悦吏子的な「音はこわく 風はやさしく 律はあったかい」とかポエムなセリフを鈴愛が言うけれど、そもそもガサツで漫画家としてもやっていけなかった鈴愛がいきなりステキっぽいセリフを言っても取ってつけた感満載で違和感しかない。タモリがミュージカル嫌うみたいな感じ。律も同様。脚本家が書きたい事をキャラに合うとか考えず、言わせたいから言わせてるだけとしか。

Twitterなんかでは「アラフォーなのに何やってんの?気持ち悪い!」みたいなコメントたくさん見た。自分はアラフォーの恋愛書くのも全然ありだと思ってるけど(10月からは「黄昏流星群」もやりますね)、さすがに永野芽郁佐藤健が流石にアラフォーではないのがバレバレなシーンになってしまってた。

そもそも2010年ごろのアラフォーがあんな老けた髪型しないよなぁというのがあって、けれど永野芽郁は普通にしたらやっぱり若さでちゃうしねという苦肉の策なんだろうと。でもずっと「なんか高校演劇の老け役っぽい…」と思ってたのが、あんなふうに髪型わかりにくい体勢でアップになると肌質がもう10代丸出しでねー。

そもそも言動が大人になってないアラフォーキャラを18の子にやらせるのはハードル高すぎるよ。いつも朝ドラでモヤるとこだけど。

個人的には一代記をやるなら20代後半から30代前半の女優さんが1番ハマりやすいと思う。

「べっぴんさん」も高校演劇感丸出しだったしねー💧

 

その後の木、金の展開も薄い内容で、宣伝記事では「ラストの2週間とは思えない程の怒涛の展開で目が離せません!」となってたけど、完全に終わり前の引き伸ばしモードとしか💧

 

そして、今回の「あさイチ」、事前収録の北川悦吏子と華丸さんのトークもなんか、「で?」としか言えなくて💧中身ないなー。

なんだか哀れに見えてきてしまった。

そもそも、自分はドラマは楽しむために見てるのでわざわざイラつくものは見ないんですよー。特に朝ドラは。

半分、青い。」もどうしても豊川悦司が見たかっただけでそこまでは頑張ったけど、神経逆撫でするしかしないヒロインと、ご都合な出来の悪いストーリー展開にイライラして朝から気分が悪かった。

それでも当初はツッコミを楽しむという見方もあるし、実際Twitterのツッコミタグが面白かったのだけど、だんだん揚げ足取りばかりになってきて叩くためのネタ探しで殺伐とするし、本タグは盲目的に脚本家を褒めそやし、さらにアンチタグに出張ってきて喧嘩を売る。もうめちゃくちゃで、バカバカしくてどっちも見なくなった。

その原因の一つが明らかに脚本家がTwitterで余計な事を書いているからなのに、控えるどころかアンチをブロックして煽ってますます炎上。さらに脚本家の裏アカとウワサされるアカウントがまた喧嘩売りまくってて、本当にこれが脚本家の裏アカなんだとしたら、表に出る仕事は一切やめた方がいいと思う。

アンチはアンチで岡田惠和のラジオにゲスト出演したのをワザワザ聴いてまた叩きまくるし、もうなんなんだろうなぁと。

こちらは単純に、朝これから仕事行くよーっていう時なのだから楽しいものを見たいだけなんですよー!なんなんだ?この殺伐とした戦いはなんのためなんだ?と腹立たしくさえあるんですよ。

 

ネット記事で「北川悦吏子が満身創痍の自分ネタを毎日明かしたり毎日記事になったりして頑張ってる」というようなことを書かれてたけど、まさにこの炎上商法が揉め事の原因になっている。

終盤に向けたくさん出ているインタビューでも「大河のオファーもらってみたい。絶対断るから。それよりアニメやりたい」とか、わかりやすくアンチを煽ってきていて、またそれにキッチリアンチも擁護派も乗ってきてまた炎上。

そしてそこまでしても平均視聴率が、好評だった「あさが来た」はしかたないとしても、賛否両論の「とと姉ちゃん」や「花子とアン」にも及んでないのだそうで、なんだか痛々しさすら感じてしまう。

とと姉ちゃん」の脚本家は放送中はコメントは一切見ないでやると言っていたし、「花子とアン」の人は割と出る方ではあるけど、Twitterはやっていない様子。

結局、脚本家は裏方でしかないのであれこれ出てきても、制作側視聴側どちらにもいいことはないのだという見本になったのである意味良かったのかも。

あさイチ」での対談でも、律のプロポーズが唐突であれは受けられないという華丸さんに対し「やつはあの時言おうと虎視眈々と狙ってたんです」と言い続けるけれど、華丸さんは「あれはわからない」とあくまでも普通の視聴者目線のコメント貫いていて笑った。

結局、Twitterであれこれ言い訳してもドラマ見て通じないものは視聴者は納得できないのだ。ドラマなんだから当然なんだけど。

 

この脚本家はいったい何がしたいのかと、普通に不思議に思う。

自分は好きではないけど、ここまでやらかしても盲目的なファンがいるのだから何かしら作品の魅力はあるんだと思う。それを素直に書くのではダメだったのか?

インタビューで野心を持つ事を推奨していたし、見た感じでも本人も野心家で負けず嫌いなんだと思う。勝ちたいと思うのはいいんだけど、一体どこと戦ってるのかわかんないんだよ。視聴者を敵にまわしてもいい事ないでしょう?お客様なんだから。

「大河のオファー断りたい、アニメやりたい」で大河ファンやアニメファンを「ナメるな!」と怒らせて何かいい事あるのかしら?

おそらく大石静を意識しての発言なのでは?と思う。朝ドラヒットさせて大河書いてまた朝ドラ書いてアニメまでやって、今だにゴールデンタイムで連ドラ書いてヒットさせている、北川悦吏子より1世代上の女性脚本家。

けれど、北川悦吏子は絶対大石静になれないでしょう。書けるものの間口が狭すぎるんだよね。結局恋愛モノしか書けないのだし。

 

北川悦吏子の売りは独特なセンスのセリフなんだろうけど、センスで押し切れるのは若いうちだけ。それはどんなクリエイターでも同じ事。歳が行けば時代のセンスとはどうしても離れていく。それを埋めるのが経験や知識なのに「取材はしない」と公言して、その通り適当な業界ネタを書いているんではしりつぼみなのは当然。まして恋愛モノが成り立ちにくい時代に、自分と世代の違う人の恋愛を書くという難しさ。今度の朝ドラを見ていて自分ですら古さを感じたのにもっと若い世代に響くんだろうか?

恋愛エピソードに限らず、「高嶺の花」の野島伸司とともに、あちこちで言われていたドラマに感じる価値観の古さの修正はかなり難しそうだ。

「女は若くて可愛くてなんぼ」「男は稼いで女を養う」と言いたげなシーンが何度も出てきたけれど、今時その価値観でやっていけるのか?

最近、自分が女性脚本家のドラマを見やすいと感じることが多いのだけど、それはバブル以前のそういった価値観から抜け出ている人が多いからだ。

義母と娘のブルース」では、明らかに年上の亜希子を麦田が好きになっても、年の差やキャリアの格差については誰も恋愛の障害として見ない。亜希子がかつての部下だった田口を紹介するときも「一緒に働いていた方です」と言って、上下関係には触れない。色んな目線がフラットで、「半分、青い。」で正人の恋人が10歳上のキャリアウーマンなのをひとしきりイジるのとは正反対だ。

「ぎぼむす」脚本家の森下佳子は71年生まれ。くしくも鈴愛と同じ歳で北川悦吏子の10歳下。

結局、北川悦吏子が自分より10歳下のヒロインですら書けてないことがわかってしまう。

本当はなんでも世代でくくる話って好きではないのだけど、クリエイター、特にストーリーを作るような人達は、作品でなんとなく世代がわかってしまうところがある。価値観が出来上がるまでに吸収してきたものに影響されるのだから当然か。

現代の感覚へアップデートしていける人も大勢いるけれど、少なくとも北川悦吏子は出来ていない。というよりする気がないのでは?と思う。

以前女性誌でオバさんを感じさせる事として「自分が全盛期のメイクやファッションから抜け出せない」という記事を見てなるほどーと思ったけれど、北川悦吏子もそれなんだろうな。

90年代にチヤホヤされた時の自分から抜け出せていないのだ。

 

そして「半分、青い。」で当て書きした事を得意げに話していたけど、正直さほど上手い当て書きとも思えない。やっぱり、舞台出身の脚本家のほうが当て書きが上手い。なんでだろう?観察力の違いなのかな?

三谷幸喜が「当て書きというのはその人らしい役を当てるのではなく、その人がやったら面白いだろうという役を書く事」と言っていたのだけど、そういう意味では佐藤健の律は誰もが佐藤健から連想する程度のキャラで「佐藤健にやらせたら面白いだろう」という役にはなってない。「義母と娘のブルース」での麦田役の方がよほど印象的だ。

結局、Twitterでもインタビューでも喋れば喋るほど底の浅さが見えてしまって切なくなるくらいだ。

 

「大河を書く」というのも、今回の朝ドラで構成力も取材力もないのがバレてしまったのだから、どう考えても難しい。

このところ朝ドラ書いて数年後に大河を書く脚本家が多いからの発言なんだろうけれど、内容的に長い時間のドラマに向くもの向かないものってどうしてもある。

去年の「奪い合い、冬」のようにぶっちぎった内容をツッコミながら楽しむというのもドラマとしてありと思ってるけど、じゃあそれを毎朝15分半年とか、日曜夜に1年間見続けられるかというとそれは無理。あれは週末の遅い時間に7回だから楽しめるものだ。

今回随分と既存の朝ドラを否定して「違う事をやった!」と得意げだったけれども、果たして効果的だったろうか?

自分が見ていてつまらないと思ったのは朝ドラフォーマットから外れてたからではなく、単に半年見せ続けるだけの内容になっていなかったからだと思っている。

インタビューで「うまくいかないシビアな事を逃げずに書いた」と言っていたけれど、こちらから見ればシビアどころかわかりやすくご都合展開の甘い世界だ。

たまたま有名漫画家と会ってスカウトされてタダで東京暮らししたり、シングルで無職なのにたいして近い親戚でもない別れた旦那の叔母に子供の習い事の金を出させたり、世の中そんなうまい話があるかい!」という事ばかり。

そしてヒロインは無知で自己中心的なのになぜか皆でフォローしまくる。

何しろ「発明する」はずが実際にやってるのはほぼ100パーセント律で、資金まで律の退職金で本人はいるだけ。なんだろう?なんか弱み握られてるの?夢の世界か!

この脚本家の書く程度の内容はとてもじゃないけど1年見続けるの無理すぎる。

 

噂どおり、土曜の150話で東日本大震災が起きた。あと6話でだ。

「気安く震災ネタを使うな!」と既にアンチが騒いでいるけれど、もうどうせ大した事書くとは期待してないのでまあいいんです。

これだけの裸の王様っぷりに同情してしまいそうだし。

ただね、半年つまらないドラマが垂れ流されてるのを見逃してあげたのだから、せめてネタでも「大河書きたい」とかやめてください。

こちらは大河や朝ドラが面白いといいなといつも期待してるんですから。

それは許さないよー。