温泉とテレビが好きな私の日記

誰かに気を遣うことのない、思った事をそのまま書いてみるところ。

「なつぞら」 第118・119話 そういうとこだゾ!モヤッとするのは

亜矢美さんを安心させるため、という謎の理由で突然結婚すると言い出した咲太郎。
お相手はまあそこしかなかろうという川村屋のマダム 光子さん。
キャストからしてそうだろうとは思ったけど、頼むよ、マダムはともかく咲太郎が特別な好意があるっぽいのも描写してくれよー。
下山さんと茜ちゃん夫妻同様、視聴者完全に置いてけぼりです。
そもそもずっと気になっていたけど光子さんをマダムと呼ぶのがなんかなぁ…。
「女主人」という意味なのはわかるけど、未婚の若い(今40才設定という事は初登場時ギリ20代よね?)女性に使うのがなー。まあいいけど。

で当然、以前雪次郎の言った「亜矢美さんは咲太郎さんを男として好きなんじゃないか」と言う伏線が立ち上がってくるわけで。
現実なら「雪次郎トンチンカンか!」で済むけどドラマですからね、そこまで露骨に張った伏線そりゃ回収しますよね。
あーあ。
あの時も思ったけど、その設定いる?
なつが照男にいちゃんとの結婚話を聞いて「そう思われてたと思ったら家族でいられない」と泣いたのと同じで、男女の愛情を持ってしまったから家族じゃいられないという理屈で亜矢美さんを退場させたけど、それ失礼じゃない。
柴田のお母さんとなつ、置屋の女将と千遥は女同士だったから血が繋がらなくても親子になれたけど、亜矢美さんと咲太郎は男女だったからダメだったってこと?
照男にいちゃんもキャラ紹介には「なつとの結婚を勧められ密かにそうなればと思っている」ってあったし、異性ならもれなく下心を持つって展開はどうなの?視野が狭すぎないか?
なんかなぁ、このドラマのこういうとこがモヤモヤするんだよー。

しかも、その亜矢美さんの秘めた思いをなぜ煙カスミが全部喋るの?なんの権利があるの?
その気持ちを秘めておきたいから亜矢美さんは旅立ったのに台無しじゃん!
しかも一見綺麗っぽいけど、子供側からすれはヘタすると気持ち悪い案件ですよ?
子供のころから一緒の大人に異性として見られてるって描きようによってはトラウマよ?
まあ咲太郎はそんなデリケートなキャラではないけれど、なつは気持ち悪がってたじゃん。
そんな微妙な案件をなぜ他人の煙カスミがベラベラ話す?
わざわざ戸田恵子をキャスティングして無駄遣いだなーと思っていたら見せ場がこれかぁ。
ぐったりする。
視聴者にそれを知らせるなら、なつと咲太郎がいない所で、亜矢美さんと話すとか方法はいくらでもあるじゃん。
ドラマとして見せて欲しいところがなんか変なんだよなー。

で119話。
妊娠中の茜さんが退職を迫られる。
さすがに女性の生き方を描くというのが朝ドラの建前なので、その辺りの問題は扱うことにしたのね。当時の東映動画は本当に酷かったらしいし、モデルの奥山玲子さんも相当戦ったらしいしね。
それはいいんだけどね、相変わらずの主人公のために動く世界がモヤモヤするわー。
茜さんが退職を迫られて悩むのに、なぜ夫の下山さんはともかく、ただの同僚の神地が一緒に、わざわざなつの家まで報告にくるの?しかもかなり大きくなったお腹の茜さんが。
なんなの?上司なの?違うよね?

そして室内も背景の外も昼間?というくらいの明るさの中「こんばんは」と挨拶する下山さん。雑か!そういうとこだゾ!
以前、信さんの結婚相手のアナウンサーがお天気ニュースを読むシーンに対して、「ニュースで『大雪の恐れ』と読みながらも映ってる天気図が典型的な真夏の天気図」というツッコミがあった。
揚げ足取りとも言えるけど、いいドラマってそういう細かいところまで気を配って、季節感や時代感を出すようにしてるのも確か。
言葉で説明しなくても、画面見てたら朝なのか夕方なのかもちゃんと伝わるように作ってる。
そういう点で「なつぞら」は確かに色々雑なのよ。それが積み重なるとドラマ自体が雑に見えてくるのよ。
定期的に「昭和○年」とはっきり年代を入れているのにもかかわらず、その時代感が感じられないことと言ったら。
なんだかなー。

まあ、ぶつくさ言いつつも見てはいるんですけどね。
「もう見ないわ!」と言うほどの、強烈な個性も無いドラマなんだよね…。
まあ、朝バタバタして見逃してもそんなに悔しくないし、支度しながら横目で見るにはいいドラマなのかもなぁ。