先週金曜の95話、同業夫婦としてのすれ違いにやっと着地が見えた!と安心したのに、そう「スカーレット」は土曜まで放送があるんですよ。
土曜の不穏さ、そして週明け、やっと落ち着くかと思いきや、方向転換したからこその喜美子の暴走が余計に夫婦に溝を作るとは。
そうなんだった、思えば喜美子は元々こういう人間だった。やりたい事のためには周りに目もくれず前のめりになる。
そういう片鱗はあちこちにあったのだけど、子供の頃から長女で、両親が生活力無くて、結婚してからは八郎を支える、子供が小さい、と生活のあれこれが喜美子を踏みとどまらせていた。
それが八郎を初めとする家族の後押しがあって、いざやりたい事を!となったらついに本来の喜美子が現れて止まらなくなった。
そしてその本来の喜美子を後押しするのが八郎と三津の関係への納得の行かなさというのがね、この脚本の怖いとこだよ。
まだ「怒り」とはっきりしてる訳ではないけど、明らかにあるグルグルと黒い気持ち。
はっきり八郎と三津が不貞を働いたなら怒りの持って行き場もあるのに、そうじゃないことは喜美子もわかっている。
八郎の喜美子と噛み合わない部分を三津が理解して、それが八郎の救いになった。
それが恋になってしまった三津は身を引いたし、八郎にはそういう下心はない。
それは喜美子もわかっているけど、モヤモヤは消えない。
八郎を支え、八郎と一緒に夢を見るのは自分なのに、自分の理解できないところをなぜ三津なら分かるのか。はっきり誰が悪いということではないからこそ収まらない。
そして、それが忠告を聞かず穴窯にのめり込む方向に行くのが喜美子がやっぱり常治の娘だというところが怖い。
愛情はあっても常治には散々迷惑をかけられて、それでもやっぱり大人になるにつれ明らかに常治の気配が現れる。
武志に少女マンガを貸してくれためぐみちゃんが照子の子供の頃と同じ事を言ってるように。
血の繋がりや環境がその人間を作るのだというのがしみじみ分かる。
喜美子と八郎の溝はどうなっていくのか?
生活と制作と仕事についての考えの違いは落とし所があるんだろうか?女性問題よりずっとずっと難しい。
けれど、これを乗り切ってこそ女性にエールを送る朝ドラなんですよ。
信じてるよー!