昨日「人は見た目が100パーセント」がイマイチだ、という記事を書いた後、色々考えてた。
1時間ちゃんと見てもいないドラマにあれこれ言うのも申し訳ないとは思うけど、あんまりにも笑えなくて、じゃあどうすればいいのかなーと思ったのだ。
とにかくお試し冊子(はい、これもこれしか読まずに書くのもなんですが)とドラマの印象が違い過ぎて。
マンガとドラマは別物だから違うのは当然なのだけど『劣化』という言葉しか浮かばない。
ドラマアレンジで「よくなったね!」ってとこが見当たらないのだ。
自分は単純なので見て楽しくなれるものが好きだ。
各クールで好きなドラマもコメディが多い。
寝る前に見て笑って気持ちよく寝たい。
「人は見た目が100パーセント、略してひとパー」はどうしてそうじゃないのか?
演出、脚本、出演者がイマイチ。
じゃあイマイチなのはどこなのか?
笑えるのとどこが違うんだろうか?
コメディの笑いっていうのはズレを生むことだ、という言葉をどこかで見た。
多数がこうと思うことにズレを提供してそこで笑いを取る。
でもこれはネタ選びと扱い方のセンスがいることだ。
日本の笑いはイジメと紙一重な部分があるから一歩間違うと全く笑えない。
自分がお笑いをあまり見ないのはそれもある。
どつき漫才というか、ツッコミでボコボコ叩くのがホントに引いてしまう。
イジラレ系の芸人が無茶されてるのを見ると笑うというよりビビってしまう。
「ひとパー」にも同じノリを見てしまったのかなーと思った。
「人は見た目が100パーセント」というのはある意味正論だ。
化粧品とかアパレルとかおしゃれ系の会社の人がだっさい格好してたら確かに仕事にならない。
スッピンの美容部員なんてあり得ないし。
逆にチャラい銀行員とか誰も信用しない。
その一方で「見た目で人を判断してはいけない」という一般常識もある訳で、
見た目で人をバカにすること、笑うことには罪悪感もある。
だからそれをドラマのネタに使うときに加減とセンスが必要になる。
お試し見る限り、原作は「女子力をあげる」という事を徹底的に試すことでギャグにしている。
リケジョなので、ツケマならツケマの使い方パターンを端から試す。
外そうが何しようがあらゆるパターンを大まじめにやらせる事で「実験」という設定にしている。
そこで笑いを取る、思ってた以上にギャグ漫画だ。
で、これを連ドラにするとなると大筋のストーリーから足してかないとならない。
なのでドラマのストーリーはオリジナル部分が多いし、オリジナルキャラクターも多い。
で、ヒロイン達がオシャレをしなくては!と思うキッカケのキャラクター、室井滋が出てくる。
有名な女性研究者でヒロインの憧れ、化粧品メーカーの開発責任者の彼女に認めて貰うにはオシャレでないとならない。
2話で地味な格好で結婚式にきた桐谷美玲に「そんな格好でオフィスをうろつくのは許せない。貴方達みたいな人は認めない」といい放つ。
うーん、これはさすがに無理ないかい?
おそらく「プラダを着た悪魔」のイメージなんだと思う。見てないけど(笑)
派手なオシャレをしてバリバリのキャリア。
しかし、ファッション雑誌ではなく、化粧品メーカーと言っても開発だ。しかも来たばかり。
そこの人間を同じ研究者が「オシャレでない」というだけで全否定。
現実にはこういう勝手な人はいくらでもいるだろうけど、ドラマのキャラクターとして説得力が弱い。
そこに桐谷美玲のオドオド芝居がくると「イジメ」「パワハラ』という言葉が浮かんでくる。
オシャレでないことを責められる正当な理由が見つからない。
なので笑えなくなってしまうのだ。
現実に人と違う事、人より劣ることは笑われてしまう。芸人のネタもそこからくるものは多い。
それを笑うことに戸惑いや罪悪感を感じさせないようにするのがセンスなんだ。
このドラマはそのセンスが足りなすぎる。
以前桐谷美玲が主演した「スミカスミレ」というドラマがあった。
ものすごく出来のいいドラマでもないし、桐谷美玲も演技が上手い訳ではないけど、結構楽しく全話見てしまった。
60歳で男性と付き合ったことのないヒロインが、母を亡くして一人ぼっちになり自分の人生を後悔してる所、化け猫の力で20歳に若返り大学に通い青春をやり直す。
中身はそのままなので、自分の若い頃の服で大学に行ったり、若者のノリがわからずアタフタしたりして笑われる。
これもある意味バカにした笑いだ。
それでも、ヒロインがまじめで一生懸命、なによりやり直せる青春を素直に楽しんでいるので
そこの魅力を見つけてくれる王子様が現れる。
友人もできる。
あちこちハズしてしまうヒロインを全否定しない。
だからドラマとして楽しめる。
「ひとパー」のヒロインは今の所全否定だ。
開発部門ごと別の会社に移動しているけど、求められたのは研究データだけ。研究者達は仕方なく引き取った。
といって元々バリバリ働くタイプでもない。
そして身なりを構わないことを責められる。
コメディにするにはあんまりだ。
去年、どっぷりハマった「逃げるは恥だが役に立つ」平匡役の星野源が、監督と役作りについて
「平匡はオタクでみっともない変な人というキャラクターではなく、仕事もできる、自分の趣味や楽しみかたも知っている、ただちょっと変わってる所が笑いを生むんだ」というようなことを言われたと話していた。
だから平匡というキャラクターが魅力的で、弱い所やコンプレックスに視聴者が笑ったり感情移入できた。
「ひとパー」の桐谷美玲には現状何1つ惹かれるものがない。
そんなキャラクターが厳しいこと言われるから笑えないんだ。
桐谷美玲のキャラが魅力的でないのには、役者の技量の問題もある。
今回、クラッチバックの使い勝手にバタバタするところを水谷あさみ、男性受けする揺れるファッションを桐谷美玲がしてみせる。
技量の差が歴然だ。
水谷あさみのほぼ一人芝居のシーンだけならコメディとして成立するが、桐谷美玲のほうはなかなか厳しい。
おそらく、桐谷美玲の表情のパターンが少ないのが原因だ。
困ってる、追い詰められる、悩む、どのシーンもみんな、「なんだか深刻に困ってる表情」一択なのだ。
マヌケ感とかゆるみとか、そういうのが一切ない「なんだか深刻に困ってる表情」しかないので笑えない。
また「逃げ恥」話にもどると、
平匡というキャラクターは最初感情を顔に出さない。それがみくりの影響で、少しづつ少しづつ、表にでるようになってくる。
その出し方が絶妙で、あんまりに上手くて感動した。
また動き方も、ドラマと舞台とコントで鍛えているからだろう、コントにならない、ちゃんとコメディとしての笑える動きが出来ていて、「星野源すげー」と思った。
また、新垣結衣という人は、バラエティーで見ているとあまり感情を顔に出さない人のようで、割と淡々としている。
だけど、みくりを演じる時、コロコロと表情が変わってものすごく魅力的。
うっかりこれが新垣結衣本人なんじゃないのか?と思ってしまうくらい自然に見える。
桐谷美玲はバラエティーの時の方がよっぽど表情の幅がある。
「何をやっても桐谷美玲」と言われているようだけど、それはルックスの問題ではなく明らかに俳優としての技量が足りないのだ。
なんか、このドラマを見てると、制作陣がコメディ舐めてんじゃなかろうかと思う。
センスのいい笑いって果てしなく高度なものなんだと、肩つかんで言い聞かせてやりたいなーと思ってしまったよ。