温泉とテレビが好きな私の日記

誰かに気を遣うことのない、思った事をそのまま書いてみるところ。

「わろてんか」「トットちゃん!」第5週 同じ外しをしても好意的に取れたり取れなかったりするよ、そりゃあね。

人の一生の大部分という長い期間をドラマにしてるので、サクサクと早いテンポで話が進む「わろてんか」と「トットちゃん!」。
が、それなのにそれを面白く思えるドラマと、全く思えないドラマ。なんでこうハッキリ分かれるのかねー?
ま、脚本と演出の技量の差としかもう言えないのでもうどうしようもない。とくに「わろてんか」はもうだいぶ撮り進んでいるんだろうし、今から脚本家を変えるとかいうことはプライドが許さないでしょう。
幸い視聴習慣のお陰でギリギリ及第点の視聴率を取っているようなので、自分達にむけて言い訳してればいいよ、と思っていた。

が、先週ある記事を見て「はぁ?」と思った。

スマホで引用のやり方が手間なので💧

笑い”少なめで当然?「『わろてんか』はホームドラマです」

テレビ雑誌の記事なので、雑誌側の書いてることかなー?と読み進めると、
「“笑い”がテーマの朝ドラ」というイメージが強かったために、「思っていたほど、笑えない…」という声も聞かれる本作。だが、「ヒロインが日本中に“笑い”を届けるべく、奮闘する物語」というだけで、作品自体が“コメディーもの”ではないのだから、当たり前といえば当たり前なのだろう
……という記者の文章の先には

制作統括の後藤高久氏はこの点について、「『わろてんか』は演芸のドラマではないです」とキッパリ。
「こういう家族いるな、こういう人たちいるなというところから始まって、けんかして泣くこともありながら最後には笑うという、そういうホームドラマを目指しています。ずっと笑っていたら笑いの閾値(いきち)が上がって苦しいですから、笑ったら泣いて、泣いたら笑ってというのを繰り返していくんです」。

はあ、そーですかぁ?
さらに

脚本を務める吉田智子氏も、「このドラマの物語を通して見た時には、『笑い』の歴史や、そこに関わる人たちの面白さが魅力だと思いますが、前半は、やはり『家族の愛情』と、てんと藤吉の恋愛模様が見どころだと思います」と話す。

いや、10月の頭にはこんな記事を見ましたけど?

「人は笑うことで癒され、前を向くことができる生き物だと思います。私の目標は、このドラマをご覧になっているみなさんを毎朝1回、いえ最低3回笑わせて、自分も笑いころげることです」
と、作品に対しての意気込みを語っている。

という脚本家のコメント。

うーん、ザ・言い訳!
大河とか朝ドラとか特殊だし長丁場だから、途中で取材も多いだろうし、風当たりも強いと思うよ。
けど、「笑わせます!」と言っておいて、「笑えない!」と不評だったら、「演芸のドラマではない」「見所は恋愛模様」と言い訳オンパレード。
いやぜひ『ずっと笑っていたら笑いの閾値(いきち)が上がって苦しい』くらいにしてくれませんかね?全然それで構いませんけどー??

こういう事を平気で言える、制作や脚本家が立て直して面白くできるとは全く思えないね。
結局何が悪いのか全くわかってない。ホームドラマだって笑えるものはいっぱいあるし、仮に全く笑えなくても違う部分で面白いドラマもいっぱいある。
この人達が本当にわかってないのは「笑えないから面白くないと思われている」と思ってることだ。
わろてんか」にはドラマとしてダメなところしかない。
魅力のないキャラクター。
ストーリーとして繋がっていかないエピソード。
滑るだけのお笑いシーン。
テンポの悪い演出。
先が読めるストーリー展開。
「あはは」「えっ、次どうなるの?」「なるほどこうきたかー!」「この人素敵だなぁ」
…面白くドラマを見てる時に思う事が何一つ起こらない。
いや、これが長丁場の後半というならまだ「大変そうだなー」とか思えるけど、冒頭から一貫してこれだからね?ある意味すごいよ、ホント!逆に才能じゃない?

本当はもう心折れて見るのやめようと思ったりもしたのだけど、ここまでガッツリ文句を書いてきたので、せめて立て直したなーって記事を書きたいなー、記事を書くなら見ないとなーと思って頑張っていた。
トットちゃん!」とのあまりの差が面白いのもあったし。
しかしこのどのタイミングで言ったか知らないけど、言い訳としか取れないコメントが平気で出てくるのはプロとして恥ずかしくないのかね?

この先もし「わろてんか」が立て直せるとしたら、もうストーリーのめちゃくちゃぶりはどうにもならないから、キャラクターを魅力的にするしかないと思う。
いまBSで再放送してる「花子とアン」、自分は一部しか見てないから何ともいえないけど、高視聴率の割にドラマ好きの人達には評判が悪い。プロのレビューでもストーリーが破綻してると書いてるのを見た事がある。
なのになぜ視聴率が良かったかというと、キャラクターがとても魅力的だったからだと思った。
そもそも朝ドラはながら見が多いし、ガッツリストーリーを追うより見れる時見るという人も多い。だから、1話飛ばした時次に見ようと思う原動力って「あのキャラクターが見たい!」って気持ちだと思うんだよね。
時々見てただけだけど「花子とアン」での仲間由紀恵の美しさとか、吉田鋼太郎の存在感とかとても心惹かれた。
藤吉のダメ男っぷりが「マッサン」の政春みたいというレビューを見たけど、「マッサン」途中参加組の自分からしても「一緒にするなー!」と思うくらい腹立たしい。
政春は確かに生活力ゼロだけど、一貫してウイスキー作りへの情熱を持ち続けそして本当にやり遂げる、物語のキャラクターとしては筋の通った魅力のある人物に描かれてた。
「あさが来た」の新次郎にしても、ぼんぼんだけどだからこそ人当たりが良く余裕のある様子がちゃんと描かれてたし。
わろてんか」はどのキャラも行動に一貫性がないし、描き込まれてもいないし、ストーリーをこう持って行きたいためにこう動かす、っていうのが見ていてすぐわかるからイライラするのだ。

今週久々登場の栞様、「何でいきなり恋愛モードなの⁉︎」と非難轟々だったけど、自分はもう突っ込む気力も湧かなかった。
前回登場したときはてんに「興味がある」と言っていたのに、今回は「君を待ってるよ」って、確かに気持ち変わり過ぎ。
いや、だからね、「興味がある」から「君を待ってるよ(というくらい好き)」までの過程を描くのがドラマでしょ?恋愛模様を描くんじゃないんかい⁉︎
この辺でせっかくキャスティングした高橋一生出しとかないともったいない、久々だからネタ的に盛り上がって引っ張れるよう、てんへの好意をハッキリ出しとくか
……という作戦が丸見えだ。
当初から全てがこの調子なのだから、そりゃ面白くなるわけがない。

それと、藤井隆が登場して気づいてしまった「関西弁おかしい」問題。
いや、前からずっと違和感は当然あった。
「W鈴木対決」と盛り上がってた時も、自分が思ったのは「この力入れてるだろう共演シーンなのに、2人とも関西弁が変すぎる。ベテラン女優だから方言指導が強く言えないのかー?」ということだけだった。
ほとんど関西以外の出身の俳優で、気持ち悪い関西弁が飛び交う中に、ポンと1人だけネイティブを入れると逆に際立って余計に違和感が増す。例えばネイティブの方が大半であれば、それ以外が引っ張られ、全体がネイティブに近づくのかもしれないけれど、さすがに藤井隆でも1人じゃどうにもならないのだ。

週末映画を見た。「火花」の予告が流れたのだけど、見ていてすごく気持ちよかった。
菅田将暉と桐谷健太、主役2人が自然な大阪弁で普通に芸人に見えたからだ。
わろてんか」のエセ関西弁を聴くことに随分疲れていたんだなぁと思った。
自分は関西人ではないけれど、関西弁ってそれを使うタレントが圧倒的に多いから聴き慣れちゃってる。「ひよっこ」の茨城弁や東北弁とはそこが全く違う。
関西弁話せる俳優さんなんて山のようにいるのに、なぜここまで使わないのか?
ましてや芸人役、しゃべくる役くらい大阪人にすれば?ちなみに「エンタツアチャコ」がモデルらしい2人はどちらも関西人ではない。


わろてんか」の嘆きで長くなり過ぎて「トットちゃん!」について書く余力が無くなってしまったので、改めて書く。
いよいよ本役、清野菜名が登場。彼女に対しては思うところが色々あるし。
わろてんか」はもう立て直さないだろうなー。


追記
ネット記事へのツッコミ、「思っていたほど笑えない」ではないですよ、『全く❗️』笑えません‼︎