放送前に脚本家が「神回」ですとツイートしていろいろ話題になった週頭の月曜日、それでいろいろ思い出してました。
学生の頃、友人と京都旅行をした。
確か9月とかまだかなり暑い時期で、清水寺近くだったか「ちょっと休もう」と喫茶店に入った。
するといかにも「こだわります」感全開のマスターがきて、メニューの説明をひとつひとつしていく。抹茶とスイーツのセットとかコーヒーとのセットとか。
自分と友人はそれぞれ別のセットを頼み「そっちも美味しそう〜」「ひと口たべるー?」といういかにもな女子トークをしていた。
で、頼んだものを運んでくるとマスターはそのまま我々のテーブルの横に立ったまま食べ方の指示を出し始めた。
「まず、抹茶をひと口含んで、そこにこっちのムースを入れて一緒に食べて、その次はムースだけで食べて、それから抹茶だけ飲んで」
………運悪くほかに客がおらず、最後のひと口までベッタリ張り付き全て指示通りに食べさせられた。今なら「好きに食べさせて」くらい言えたかもしれないけど、まだ20歳過ぎたくらいの我々はどうしたらいいか分からず、指示通りに食べ、すぐに店を出た。余計に疲れた。
そして2人で「また京都にくる機会があっても二度と行かない‼︎」と誓い合った。
放送されてもいないドラマを、製作チームの1員でしかない立場の脚本家が自ら「神回」という滑稽さ。あー、あの時のマスターのアホさ加減とおんなじだ。
美味しいかどうかは客が決めるものであって、決して提供する側が先に言うことではないのだよ。
このところの恋愛展開に「朝ドラらしくない」「いや、画期的でいい」と賛否は分かれてるけど、自分は恋愛展開が朝ドラに向かないのは別の理由だと思う。
以前、「なぜ少年マンガは長期連載が多いのに少女マンガは少ないのか?」と考えた事があった。で、自分が出した答えは「内容の向き不向きだ」という事だった。
例外はもちろんあるとして、少女マンガの王道テーマは恋愛物、大抵は身近な同級生とか先輩とかに片思いから始まったりする。そうすると思いが通じちゃうと話の膨らませようがあまりないのだ。ライバル出すにしても、くっつく前に出してしまっていると「またかよ」感もしてしまう。そもそも身近な相手との恋愛物って引っ張る要素が作りづらいのだ。
現行朝ドラは結局「同じ日に生まれた運命の2人が、最初は身近すぎて気づけなかったけどやはりお互いが必要だと気づいて最後には一緒になる」を描きたいのは明らかな訳だけど、そのペラペラな内容を15分×156話に伸ばすのは相当の筆力がないと無理だ。朝ドラで恋愛メインにしないのは、恋愛だけではこの長さを埋めるだけのドラマを作れないからだと思う。
だから毎日、薄めに薄めて酸っぱさすら感じないカルピスのようなドラマを見せられる。だからつまらない。簡単な事だ。
恋愛ドラマがいやなのではなく、面白い恋愛ドラマじゃないからいやなのだ。
今朝は朝ドラのどーでも良さを大吉さんの「そろそろマンガ描こうよ!」の一言が払拭してくれた。
マジで朝から爆笑した。
大吉さん、ありがとう😊