温泉とテレビが好きな私の日記

誰かに気を遣うことのない、思った事をそのまま書いてみるところ。

「いだてん」 第26話 とにかく、菅原小春をキャスティングしてくれたことに拍手〜!(涙)

「いだてん」がたまらなく面白い。
毎週ほぼリアタイ、日曜の夜はずっとその日の「いだてん」についてあれこれ反芻しながら過ごしている。
そして「クドカン、天才だわ…」と思いながら寝る。
ネットの毎度の低視聴率叩きの記事も「はいはい」とおもって流している。どれだけ低くても自分はもう完走する確信があるので、なんとかこれに振り回されず変なテコ入れ無しでこのまま行って欲しいというのだけが心配ごと。
クドカンがぶれずに脚本を書き上げてくれたそうなのでホッとしている。

毎回、たくさんのことを考えてあれこれ言いたいと感想を書きかけてまとまらないまま1週間が過ぎてしまい、途中で止まった感想記事がいくつもある。情報が多すぎて消化しきれないのだ。
でもわからない、というのとは違う。単純に普通に見てまず面白い。ながら見なんてとても出来ず毎回ジッと見てしまう。それから後で「ああ、あそこはこういうことか」といった気づきが沢山あっていろんな感情が湧いてくる。
そして毎回「クドカンスゲー…」と呆然とする。

真田丸」が初めて完走した大河で、元々三谷幸喜が大好きなのだけど、三谷幸喜が脚本家として職人タイプな印象なのに比べると、もうクドカンは途方にくれるくらい天才タイプだと、「いだてん」始まってからそんなことばかり考えている。
「オリンピック」をテーマとしながら平行して入れ込んでいるテーマの拾い上げ方が容赦なくて、いったいどこでこの目線を作り上げたのだろうと考え込んでしまう。
特にネットでも話題の、三島家のお手伝いさんだったシマちゃんが独り立ちして教師を目指し始めたあたりからはっきりしてきた、女子スポーツを通しての女性の生き方についての描き方には驚きばかりだ。
女性の立場がまだ低かった時代の女性達がどうやってそれを変えてきたのかを描きつつ、実は令和になった今も全く変わってないのだとあっさり突きつけてくる。クドカンはいったいどうしてそこまで見えているのだろう?

そんな中でついに人見絹枝回が放送された。
スポーツは興味ないけど、昔「栄光なき天才たち」という漫画で読んで人見絹枝のことは知っていた。
人見絹枝役に菅原小春が発表されたときには「おー、その手があったかーさすが!」と感動して、登場を楽しみにしていた。
菅原小春については存在は知っているという程度なのだけど、実際に肉体を使って世界を渡り歩いている人がトップアスリートを演じるというのはどれだけのことになるのかと思っていた。
とにかくその存在感がそのまま孤高であった人見絹枝そのものだ。
俳優達に1人演技未経験の人間が混じるちょっとした違和感とか、圧倒的な肉体の強さとか、何もかもが人見絹枝だった。
そうなのだよ、スポーツ興味ない自分でさえ見とれるアスリートの肉体の美しさがあった。
クドカンの脚本はものすごく素晴らしいのだけど、クドカンの手の及ばないところ、画面の絵ぢからとでもいうものが圧倒的で、とにかく画面見るだけで「あ、この肉体は違う」と思わせる。
シマちゃんが金栗や三島に憧れて、走りたくて走りたくて、人気のない朝ついに走り出してみた時のあのワクワクしたシーンから一歩進んだ、さらに鍛えられた肉体がもっと上のワクワクを見せてくれた。
もうこれだけで満足できるくらいだった。

そこに、クドカンが描き続けている「女子スポーツの立場」が乗せられていて色々考える。
人見が100メートルで負け「男は負けても帰れるでしょう、でも女は帰れません」「やっぱり女は駄目だ役に立たないと笑われます」と泣きながら叫ぶシーンではリオの吉田沙保里を思い出す。結局今でも全く変わらない個人の選手へのプレッシャー。
人見が記録を出せば出すほど「バケモノ」「六尺さん」と嘲笑されるエピソードでは、吉田沙保里が下着メーカーのモデルをしたのを叩く書き込みの数々を思い出す。
「女性らしくない」競技の第一人者は女を捨てたとでもいうのかと。
クドカンは容赦ない。

それでも、トクヨ先生に何度も勧められるシベリアをついに美味しそうに頬張る人見絹枝は本当に柔らかくて女性らしくて幸福そうで、この回何回めだよと思いながら泣いてしまった。

シマちゃんは行方不明のまま、人見絹枝は早世して、それでも女子スポーツへの想いは次世代につながっていく。
一瞬本当に小学生に見えた前畑秀子の飛び込みが希望の姿だ。
この引き継がれていく想いこそ正に大河ドラマなのだと思うのだよ。

陳腐な言い方だけれども本当に「神回」連続で、クドカンがぶれずに脚本を書き、スタッフがぶれずに作っていることに毎週感謝する。
1週間をこんなワクワク待てるドラマはなかなかない。