温泉とテレビが好きな私の日記

誰かに気を遣うことのない、思った事をそのまま書いてみるところ。

「スカーレット」 第51話 今朝も辛くて、だから面白い

丸熊陶業の社長が急死し、喜美子を取り巻く環境がいやおうなく変わっていく。
フカ先生は信楽を去る事になるが、まだ喜美子だけが知らない。
そして百合子の進学問題で喜美子の担任でもあった谷岡先生がやってくる。

……ああ、今回も攻めた脚本がぶっささるわ…。
仲良しの友達に県立短大があるということを教えてもらった。そこに行って家庭科の先生になりたい。
中学生の百合子が初めて持った夢は常治の無知無学の前に一瞬で砕ける。
県短に行くにはここの高校がいいですという谷岡先生の言葉に「県短はええけど高校はあかん」と言う常治の無知が恐ろしい。
まさにこれこそ貧困の連鎖。
この時代、貧乏な家の子がそこから抜け出す1番の方法は上の学校に行って教師になること。
谷岡先生はそれをわかってるから公立の学校を勧めてくれる。
けど、その日暮らしの常治は先のことなんて見えやしない。短大に行くには高校を出る必要があることすら知らない。

最近話題になっていた「身の丈に合った」問題、すっごく腹が立っていた。
実はわりと最近まで、現代でも「大学に行く」という選択肢を知らない子がいるというのを知らなかった。この情報化社会にそんな子がいるのかと。
自分はそもそも親が「進学しないと変えられない」というふうに生きてきた人達だったので、地方出身でも当然進学すると思っていた。
けれど、そういう事を知らない子供に別の世界を教えてくれるのが教師なわけで。
そういう意味でも谷岡先生はとてもいい先生だ。喜美子が勉強できるのに進学できなかった事をずっと気にかけてくれていて、今度こそ百合子の力になろうとしてくれた。
中卒が悪いのではなく、それしか選択肢を知らせないことが周りの大人としてダメなのだ。

常治にもしかたのない点があるのもわかる。
丁稚に上がってたということは小学校も行っていないかもしれない。
そして戦争を挟んで教育のシステム自体が変わってしまってアップデートできていないのもわかる。
けれど、家のやりくりも家事も稼ぎも全て喜美子を当てにしておきながら、「お前の稼ぎが無いから(百合子の)高校は無理や」と言ってしまうのは父親としてどうなのか?
そしてそれに何も言わないマツ。
そもそも「喜美子を美術学校に行かせてやりたい」と始めたヘソクリを結局常治に渡した所からしてどうなんだ?こういう時のためだったのじゃないのか?
「父親」で「男」であるだけで無条件に上からの常治と「女」として「男」である「夫」に結局は逆らわないマツ。
このダメな両親の生々しさをここまで描ける脚本は凄いと思った。だから辛い。

そして「中卒で女」だから軽んじられるのをよくわかっている喜美子はやっぱりかしこい。
けれど、こんな親と妹2人を抱えて、女だというだけで受ける不本意さを感じつつもまだ「そういうもん」と思って受け入れている。
少しずつたくさんの大人に出会って学んで、この不本意さがどういうものなのか、振り払えるものなのか、喜美子が知って考えて進んでいくのが描かれているのに毎日ぞくぞくする。

少し前「みかづき」というドラマをNHKでやっていて、読んでないけど原作面白そうと思っていたので録画した。がハードディスクの残量的に「また見る機会あるだろう」と消した。
それは教育に生きた主人公の話なのだけど、脚本が「スカーレット」の人だったのを最近知った。
しまった、観ればよかったー💧

再放送中の「ゲゲゲの女房」の布美枝は喜美子の4歳くらい上。
女学校から洋裁の学校に行き家業を手伝ったあとお見合い結婚で専業主婦。働いた経験は無い。
ゲゲゲの女房」見てるとたまにモヤッとするのはこのへんなんだなぁと「スカーレット」見ていて気がついた。
結局は「稼ぐ旦那をつかむかどうかの話じゃん!」と思ってしまったり。ちがうけど(笑)
自分はやっぱり「スカーレット」がとても好きだ。
こういう攻めた内容だから視聴率あがらないんだろうとも思うけど、ブレないで欲しいな。
ドラマとして本気で面白いです。