温泉とテレビが好きな私の日記

誰かに気を遣うことのない、思った事をそのまま書いてみるところ。

オッサンの想像で作られてるから「ちむどんどん」は気持ち悪いのだよ

すっかりツッコミ堪能ドラマと化した「ちむどんどん」。

歌子の病弱の扱い方でドラマへの期待は自分の中でゼロになり、もう記事は書かない、書いたところで楽しくならないなと思ったのです。

それでも、時計がわりに朝つける習慣になっているし、稲垣来泉ちゃんもたまに出るし、一体ここまでとっ散らかったものをどうまとめるのか好奇心もあるから見るは見るかな。

あとは日々浮かび上がる雑考証を逆に楽しもうと。

今週はレジスターが平成の製品だと突っ込まれてましたし、もうネタでわざとやってるのかというレベルですね。

ですが、その後見ていてずっと感じる気持ち悪さについてキッチリ出しておきたくなりました。

朝ドラで自分は何を見たいのかなぁとか色々考えたので。

 

朝ドラって基本的には女性主人公がその時代を生きていく物語ですよね。

その生き様の描き方が魅力的であればいいわけで、たとえば「あさが来た」なんて大金持ちのお嬢さんが大金持ちに嫁に行くという身も蓋も無い話ですけど、それでも人気なのはやっぱりあさがきちんと自立した女性として描かれていたから。

女性の生き方に対してのリスペクトがあるんです。

「ちむどんどん」にもやもやするのはそれなんですよ。

女性の生き方の描き方がまるでダメ。

それもただ描けてないだけじゃなく、自分達的には「わかってるし描けてる」と思ってるのがわかってしまうのがねー。

この辺は言いたくないけど「オッサン」が作ってるからでしよ。

「料理知らないし」と公式で笑い話にしてめちゃ炎上した脚本家、制作統括、チーフ演出が全部オッサン。

料理もわかってなきゃ女性の自立もわかってない。よくそれで朝ドラ作ったね。

 

もちろん、作品と製作者の性別は直接はつながらないし、女性を描くのが上手い男性製作者もたくさんいる。

けれどここ数年の朝ドラを見てると、やっぱり脚本家を始めとして、メインスタッフに女性が多い作品の方が納得できる描き方をしている。

特に脚本家は人気の作品は圧倒的に女性の方が多い。残念ながら。男性脚本家の時は男性主人公のパターンが多いんですよね。

朝ドラは長いし構成も独特だから、プロでも不得手なジャンルは描きにくいということなのかしらね。

 

「ちむどんどん」で何が腹立つかというと、歌子の存在です。

一見自立して自分のやりたい仕事をしているように見える(あくまで見えるだけ)良子と暢子ですが、どちらも歌子と優子、特に歌子の無償労働無しには成り立っていない。

良子が無理矢理教員に復帰した時は、歌子が家にいて「タダで」晴海の面倒を見ていてから可能だった。

そして優子の家に「タダで」親子2人住まわせてもらっている。

実際うちの親は同業共働きだったけど、自分や弟が子供の頃は母親の給与の大半が保育料に消えたと言ってました。そもそも預け先を見つけるのがものすごく大変だったと。

そしてもちろん家事もやってましたが、良子の場合は優子と歌子で家事やってましたね。やっぱり「無償」で。

 

そして今回の暢子の独立。

「バイトを雇う余裕は無い」のでわざわざ沖縄からやってきた歌子は「タダ働き」な訳です。

病弱で事務仕事すら続けられなかった歌子が「タダで」立ちっぱなしの接客諸々のお手伝い。まあそのための都合のいい病弱設定な訳で、それはまた別の話としてムカつきますけども。

おそらく子供が産まれれば子守りも歌子の仕事でしょう。暢子は「料理人」なんですから。

結局良子も暢子もやりたい事「だけ」をやっていて「自立」とは程遠い。

その裏には歌子の無償労働があるから成り立っていて、それを女性の歌子に当然のようにやらせる感覚がオッサンセンスだなぁと。

ただ手伝うなら、時間の自由もきいてまだ連載1本しかも月刊の仕事しかない和彦がやればいいのに(いくら取材に時間がかかろうがこれだけで暮らせるフリーライターなんていないから)、わざわざ歌子を引っ張り出すところが本当に、もうね。

以前愛がいた時に、4人で食事をしていて和彦が偉そうに男女平等を語る横で愛が当然のように料理を取り分けるというアホシーンがあったんですよね。あまりのことに何か意図があるのかと思ったら何にもなくて、おそらくオッサン製作者たちが「愛は女性らしいから取り分けシーンを作ろう」と思っただけなんだなという、オッサンの無意識ほど気持ち悪いものは無いという事がありました。

なのにちょこちょこと、40年前にはあり得なかった令和的男女平等なシーンが挟まれていて、あーこれは本当にこのオッサン達は自分達が女性の自立をわかってるぜって思ってるんだろうなぁと。

今回も良子や暢子の事をちゃんと「自立した女性」と描けてると思い込んでいて、歌子に「家族だから」というだけで女性がやらされ続けてきた無償労働を強いていることに気づいていないんだろうと思うと、この製作者達は何のためにわざわざ朝ドラを作ってるのか問い正したくなる。

身内がフォローするのはあることとしても、それをなぜ「夫」ではなく「女」である妹にわざわざやらせるのか。

結局良子も暢子も、これまで男性が「家長で大黒柱だから」と当然のように身内の女性を踏みつけにしてきた事をなぞっているだけ。

「女性の自立」とは全く違うものなんですよ。

こんなの「家族愛」なんかじゃありませんって。

 

視聴率がそこまで落ちていないので「炎上商法では?」という意見も見かけるけれど、少なくとも「朝ドラ」という看板枠でそんなくだらんことすんじゃねー!としか言えないです。

まあ、見てる限りは出来が悪いだけだと思いますが。

そもそもどの朝ドラでも反省会タグはできるし好きじゃない人もたくさんいる。

でも製作者達が真剣に作ってるかどうかは視聴者にはわかるし、そういう作品にはちゃんと理解したファンもつく。

尖って攻めた内容なら、否定はされても炎上はしないもんですよ。

シナリオスクールの1年生かよという、偶然のみで進む脚本ではそもそもが評価できない上にこのオッサン目線ではそりや荒れるしか無いよなぁと。

 

あと1ヶ月を切って、「50年の物語」が暢子の50歳なのか沖縄変換50年なのかはわかりませんが(普通に読み解けば沖縄変換に決まってるんだけど、このドラマはもう信用できないんで)、少なくともあと25年は進めなきゃならないんですよね。

清恵の元カレとかもうつまんないコントの繰り返しはうんざりなので、せめて「なんとかまとめたね」と思わせて欲しいものですが、暢子のラストシーンが沖縄でセーラー服ということが発覚。「高校生暢子の夢オチじゃないの?」というツッコミにも「まさか」と言えないのがこのドラマの現状評価です。

まあ、たまにはこんな大はずれもあるよねーと思いながら「舞い上がれ!」を待ちますかね。