温泉とテレビが好きな私の日記

誰かに気を遣うことのない、思った事をそのまま書いてみるところ。

「おしん」 第45話 ああ、はる姉ちゃん。小作だけはやんだなぁ……。

加賀屋を辞めふるさとに戻ったおしん
そこへ庄治兄ちゃんがはる姉ちゃんをおぶって帰ってくる。
胸を病み、勤めていた製糸工場から帰されたのだ。
あああ、おしんにコッソリ石版を買ってくれたはる姉ちゃんが……。
おしんは父と兄が止めるのも聞かず医者に見せるけれども、医者ももう匙を投げる。
だよね、お金持ちでもこの時代は不治の病ですから、おしんの家ではね……。
すでにはる姉ちゃん自身も諦めて、じゃまにならないよう死ぬ事を受け入れている。

あー、橋田先生隙がない。
こちらが少しでも油断すると

「貧乏は恐ろしいんじゃー!」

というエピソードをぶっこんでくる。

ばんちゃんが働いて働いてそれでも亡くなった時に50銭銀貨1枚しか残らなかった。
おしんが加賀屋で給金をもらえるようになってほとんどを仕送りしているのに、父ちゃんと兄ちゃんが田んぼ、あとは皆奉公、母ちゃんも米俵を担ぐ仕事に出て、それでも借金は増える一方。
そして「製糸工場に行って働くだ」と言い出した時から嫌な予感しかしなかったとおり、はる姉ちゃんは胸を病んで「誰も恨んではいねえんだ。ただ生まれ変わるとしたら小作の家にだけは生まれてきたくねぇ」とつぶやく。

………ハードモードです、橋田先生…。

ここ最近の朝ドラでは「おしん」と同じ、明治から戦後という日本が大きく変わった時代のものが多いのだけど「あさが来た」に限らず、じつはそれなりに裕福な育ちの主人公が多い中、おしんの貧乏ぶりは群を抜いている。
「上の学校に行けない」「仕事の資金が無い」とかそういうレベルではなく、貧乏がそのまま命の危機に直結してるのだ。
母ちゃんはお腹の子を流そうと冬の川に浸かり、無事産まれても結局養子に出す。
ブラジル移民を提案した父ちゃんの足手まといにならないようにばんちゃんは自分で死のうとした。
そして胸を病んだはる姉ちゃんに対し、父ちゃんや兄ちゃんが「医者は無料では診てくれない」「隔離しないと他に感染する」「効く薬はない」とはるを放置するのも現実をわかってるから。

金ならあるからと、大奥様からの餞別ではる姉ちゃんの面倒を見るおしんだが、このお金が30円!米一俵が5円だというのに。
うっ、格差社会…。
おしんの実家の何年ぶんの収入なんですか。
小作ツライ…。

おしんが結婚破談になって「働き手が増える」と喜ぶ父ちゃんや、はる姉ちゃんの治療を全く考えない庄治兄ちゃんを酷いと責める呟きをツイッターでたくさん見たけど、仕方ないと思うよ。
断ったけれど、まれにでも一発逆転玉の輿の可能性もあるおしん達下の子と比べ、小さい時からこんな生きてくのもやっとな小作を、長男というだけで継がされる兄ちゃん。
それは同じく長男だったというだけの父ちゃんもだった。
「家長」である以上、地主に頭を下げるのも父ちゃんの仕事。そりゃ人間多少歪んでもしょうがないさー。
おしんだって玉の輿とはいえ、明らかに「使えないお嬢様よりはよく働くただの労働力」としての嫁だろうというのが、向こうの言葉の端々に出ていた。
光はない。


それに比べて「活動家」と言いながら地主の両親から大金を送ってもらう安田と、その安田に「おしんが貧乏に懲りて金持ちに嫁に行くからって恨んじゃかわいそう。私は貧乏なんて怖くない。自分に正直に生きる。何もかも捨ててあなたについていく」と親が稼いだ金を持ってついていく加代の薄っぺらさ。
この並べ方、橋田先生の「この甘ったれが」という声が聞こえてきそうだ。

同じ時代、貧乏な家の出でも男で勉強が出来たために上京してきた金栗四三とか、造り酒屋のボンボンで上の学校のあと留学するマッサンとかを思うと「貧乏な家の娘」のしんどさはねぇ……。

はる姉ちゃんは長くなさそうだけど、せめて最後にいい思い出を作って欲しい。
たったそれだけでも救いだ。
貧乏怖い。