温泉とテレビが好きな私の日記

誰かに気を遣うことのない、思った事をそのまま書いてみるところ。タイトル変えました。

「半分、青い。」 あー、や〜っと朝ドラ終わったなぁ……

大好評放送中「半分、青い。」が折り返しを過ぎ、「漫画家編」が終了、82話から新章へ突入。
豊川悦司初登場が21話なので81話までちょうど60話10週分見てきました。
で、まとめ的な事を。

結局、このドラマのテーマは何なんだろう?
まずはそこですかね。全く分からなかった。
普通に考えれば主人公鈴愛の生き様な訳ですが、その鈴愛の生き様をどう描きたいのかがさっぱりわからない。

元々公開されていたあらすじによると「ちょっとうかつだけれど失敗を恐れないヒロインが、高度成長期の終わりから現代までを七転び八起きで駆け抜け、やがて一大発明をなしとげるまで、およそ半世紀の物語を紡ぎだしていきます。」とのこと。
さらに詳しく、漫画家を目指すが挫折する事、結婚して娘を授かるが夢追い人の夫に離婚され故郷に帰る事、お互い一度結婚に失敗した幼馴染と一緒に起業して発明をする事、全て明かされているのですよ。
実在の人物をモデルにした物と違いオリジナルで先がわからないから楽しみと、今回の朝ドラを評価する声を見た時には何言ってるんだかと思ってました。
別にあらすじが明かされてることは構わない。歴史物なんか当然展開は決まってるし。要はその間の展開をどう見せるのか、それがドラマの面白みなわけですから。

そういう点でこの朝ドラはつまらなかった。
東京に行く行かない、アシスタントで雇う雇わない、デビューできるかできないか、その引っ張り方がいちいち長い上に人を馬鹿にした不快なエピソードを使うので面白くない。「あまちゃん」と比較すると、やっぱりそこの責任は脚本にあるのがわかる。1話15分に対して使うネタが少なくて引き伸ばした感がする。一歩話を進ませるのに「あまちゃん」では3往復くらいするのに、現行ではスローで進む、みたいな感じかな。だから長さばかり感じて、見ていて「どーせ東京いくんだからさっさと進めてよ」と思ってしまう。

そしておそらく脚本家的にはメインであろう鈴愛と律の関係。ここでくっつかないのは明らかなので2人の行き違いをどう書くのは見せ場のはず。それなのにあれから5年、4年と20代の1番恋愛で盛り上げられるはずの時代をただすっ飛ばし、別れのシーンだけ入れるから訳がわからない。肝心のあらすじではわからないエピソードの詰めが一切ないのだから、我々は何を見ればいいのか当然わからない。
登場人物の使い方も、そのキャラクターを書き込むのではなく「◯◯要員」なのが丸わかりの下手くそさ。例えば正人は鈴愛と律に恋愛モードを起こさせるためだけ、清は鈴愛と律の間に亀裂を起こさせるためだけのキャラなので、それぞれなぜこんなキャラを好きになるのかという説得力がない。
とと姉ちゃん」で真野恵里菜高畑充希をいじめて会社を辞めるよう追い込むだけのキャラに使っていて心底腹が立ったけど、現行の場合、そういう「◯◯要員」「◯◯するだけ」キャラしか出てこないのだからツッコミ疲れしてしまった。

と、基本的に鈴愛と律の世界を書くためだけのドラマであとのキャラは全て背景と同じだから面白くないのだ。
そして肝心の鈴愛と律がキャラクターに魅力がないのだから面白い訳がなかった。
さんざん騒がれているが、おそらく歴代の中でも屈指のクズキャラとして描かれる鈴愛なのだけれど、いったいこのキャラをどういう風に見せたいと思っているのか、これがまたわからない。

「天真爛漫」とこのヒロインの事を説明していたが、はたしてそうなのか?褒め言葉として使うと思っていたけど違った?
思わず意味を調べてしまった。
「飾らず自然のままの姿があふれ出ているさま。生まれつきの素直な心そのままで、明るく純真で無邪気なさま。」
確かに「飾らず自然のまま」ではあったよ。けれども、衣食住用意して給与まで出して勉強させてくれる相手をセクハラと言いふらすと脅したり、心配してくれる友人を「逃げたくせに」と逆ギレするのが、「素直な心」で「純真で無邪気」って言うの?どう考えてもただの痛い子だ。

それならそれで「痛い子」として描こうとしてるのならまだいいのだけど(「痛い子」が朝ドラヒロインに向くかというとそれは別だけれども)、展開を見る限りそうとも思えない。
確かに「痛い子」の「痛さ」を描いた話はたくさんある。けれどそれはその「痛さ」によって傷ついたり失敗し、自分の「痛さ」と向かい合うことで物語が生まれるものだ。
鈴愛の様に、愚かな行動を周り全てがなぜか叱らず甘やかして全肯定、というのではとても物語として成立しない。実際なっていないし。
あらすじからしてもおそらく脚本家は本気でこのヒロインの事を「天真爛漫」として描いているのだ。それがもう既に痛すぎる。

そして多数の反感を買った、漫画家修行の描き方の適当さ。
細かい部分で本物と違うというのをもういちいちツッコミはしない。それはまあ「ドラマ的演出」と超好意的に解釈して終わらせておく。
けれども、結局鈴愛が漫画を描きたいのかそもそも好きなのか、その根底の所をついに全く描かなかった。せめてそこさえ描けていればここまでの批判は出なかったと思う。
「漫画家」というたくさんの人が憧れ夢を見るけれど、それを実現させる事の困難さもまた大抵の人が分かっているという職業をなぜわざわざ選んだのか?華やかそうだから?くらもちふさことお友達だから?鈴愛だけでなく、脚本家本人も漫画に関心がさほどないという様にしか見えないからあそこまでの炎上を起こすのだ。
絵を練習するシーンもアイデアを出すシーンも漫画を読んでいる様子さえほとんど無く、鈴愛の自室に漫画や資料が沢山ある訳でもなくただセリフだけ「漫画描きたいのに」「私には才能がある」と言われても困る。テレビドラマなのだから、映像で見せてくれなきゃどうしようもない。

そして「漫画家編」のヤマ場(のつもりであろう)描けなくなって追い詰められる鈴愛が書かれた14週、永野芽郁は確かに頑張っていたかもしれないが、ここまで浅い描写しか見せてもらっていない視聴者としては「そりゃ描けないだろうねぇ、全く努力してなかったし」としか思えないのは当然のことで。
そして「あんなに好きだった漫画が苦しいだけになってしまった」と言われても「え?好きだった?」としか思えないので、漫画家を辞めることの痛みが伝わらないのだ。サボってたツケが回ってきただけだよねーと。

そして、結局この「漫画家を辞める」という重大な決断もこのヒロインは結局人に決めさせた。秋風先生のために頑張ってるとボクテに言わせ、秋風が鈴愛に引導を渡す。本当に甘えたクズだ。この一切自分で責任を取らないヒロインのどこに魅力を感じればいいのか。

自分で責任を取らないというのでは、この脚本家にも気になる所がある。ツイッターで言われていて「そうなんだよねー」と思ったこと。
最後になるかもしれない仕事を秋風に「初めて漫画を描いた時の様に描け」と言われて「なにがあってもすべてあの時のときめきからはじまっていることを忘れるものか」という秋風作品のセリフを思い出しながら、また机に向かうシーンがある。
このセリフはこれまでも何度も出ているのだけど、これは脚本家のオリジナルではなくくらもちふさこの「いつもポケットにショパン」に実際にあるセリフだ。
何度も決めゼリフとして出てくる言葉がオリジナルでない、しかも元の漫画を知らない人には脚本家が書いたとしか思えないような使い方。クリエイターとしてこのスタンスはどうなのか?
そして追い込まれた鈴愛を励ますおじいちゃんの戦争中エピソードだが、これもある小説に似たものがあるというツッコミを見た。自分はそれは知らないし、調べる気もないけれど、こういうネタがポロポロ出てくるので、この脚本家のものづくりが信頼できなくなってくる。

そして、根本的にこの脚本が酷いなぁと思うのは空気感の作り方の下手さだ。
脚本家は61年生まれで、当初はヒロインもそうしたいと提案したが却下され、71年生まれになったそうだ。それは朝ドラ視聴者のターゲット層に合わせたのかと思ったが、プロデューサーがインタビューで「平成が終わろうとする時代に朝ドラで平成史を描きたい」と言っていてなるほどと思った。確かにそれなら平成と共に大人になる年齢にしたい訳だ。
つまりこの朝ドラには「平成という時代の描写」という面もあるはずなのに、それが全く描けていない。何かあると全ておばあちゃんのナレーションと差し込み映像で、登場人物たちがほとんど時代と関わっていない。
特に時代感がわかりやすく出せる音楽の使い方がめちゃくちゃだった。
今のようにインターネットで世代ではない曲が簡単に手に入る時代ではなかったのだから、曲を聞けば「あーあの頃」と思い出せるヒット曲がいくらでもあるのに一切使っていない。ドラマ内の時間で既に昔の曲を決めシーンに使い、ツイッターで「絶対この曲って指定した」と平気で書く。その理由が自分が好きだから。
特に裕子がシーナ&ロケッツの曲をよく口ずさみ「漫画家編」のラストでも使っていたけれど、「この世代の人が『シーナ&ロケッツ』聴くのかなぁ?」と疑問に思っていた。
するとやはりこの曲は79年の曲で、61年生まれの脚本家が18歳の時にいつも歌っていたというだけの事だった。平成を描くのに「シーナ&ロケッツ」はさすがにおかしいだろう。そこを10年下げなければ時代感が出るわけがない。
この脚本家には「平成という時代を描く」という事は難しすぎて無理だったらしい。
だとしたら、いったいこのドラマは何を描くのか。鈴愛の生き様はグダグダ、平成の描写も出来ない。脚本家の「こんなシーンがあったら素敵じゃない?」を適当につないだものを見せられていて、そりゃ面白くない訳だよなぁとつくづく思う。

この謎の「漫画家編」に156話のうち60話近くも使い折り返しを過ぎてしまったのに、これから結婚、出産、離婚、発明で成功をしなくちゃならないのだから配分めちゃくちゃだ。
そしていくら挫折して新しい生活になったと言っても「漫画家編」と100均で働き始めてが繋がらなすぎる。
ここまでも構成の酷さから見ても、おそらく半年続く話を書くだけの筆力が脚本家に無く、3ヶ月を2本、みたいな作りになってしまったんだろう。呆れるばかりだ。

ここまでダメなところばかり書いて来たけど、唯一この朝ドラが良かった点はやはり「俳優 豊川悦司」の上手さを再確認出来た事だ。
若手の出演者が多く、キャリアの割には上手い人達ではあったけど、さすがにこのめちゃくちゃな脚本には振り回されてる感は否めない。
それにくらべ「漫画家編」ほぼ唯一のベテランキャストである豊川悦司は、一定しないキャラクター設定を演技と存在感でなんとかまとめていて「秋風羽織」だけが辛うじてキャラぶれが「人間そのくらいはブレるかも」と思えなくもないかなーと見せていた。ような気がする(笑)
とはいえ、豊川悦司が出てなきゃこんなドラマ見てイラつくこともなかったんですけどねー(爆)

脚本家は懲りずにツイッターで「秋風また出ます」とか余計なこと書いていたけど、正人も同じ事やってまだ出ていないので、ネットニュースに「秋風再登場」とでたら夜のBS放送見ればいいかな。
82話以降はチラ見だけど、本当にビックリするくらいどーでもいいし、どハマり中の「カーネーション」でかわいいお母ちゃんで出演中の麻生祐未を適当に使うとことか見たくないし、もういいな。

あー、やっと「朝ドラ」終わったなぁ。
思った通り合わなかったー(笑)