温泉とテレビが好きな私の日記

誰かに気を遣うことのない、思った事をそのまま書いてみるところ。

星野源的需要とはなんだろう

よく読んでいるブログの新しい記事があまりにも面白くて、色々考えてみた。

 

今の星野源ブームについてのまあツッコミなんだけど、星野源って人気出てきたここ数年、ファンであることに対する屈折があれこれ言われてるよね、なんでだろうと。

少し前に『星野源に屈しない女の会』タグが話題になっていて、「あはは〜言いたいことわかる〜」とウケていたのに、直後自分がどハマりだからなー。人間わからんね。

 

星野源を好きだという恥ずかしさって言うのは、

「『私は他の人のようにイケメンだとかエリートだとかそういうとこで男性を見てないの。一見地味だけど才能もセンスもあってちゃんと見ればルックスだって悪くない。そんな彼の良さをわかるのよ』っていう厨二かよ!って痛いこと言ってる女だと思われたらどーしよー」ってことだよね。

『私だけが彼をわかってるという痛い女』確かにそう思われるのは恥ずかしい。

星野源は『サブカル村の人気者』だったそうだからそこもひっかかるんだろう。

サブカル=自意識過剰な痛い子、ってイメージも根強いよね。

どこからきたのやら。

 

それでも今の10代ってコンテンツが細分化してるからか『狭い世界の人気者』に抵抗ないんじゃないかと思う。今のというより、10代の世代的なものかな?

ユーチューバーの雑誌をみたら、格好は頑張ってるけど素材は地味な男子がカッコつけていっぱい並んでて、『こんなんでも人気者なのかー?すげーなユーチューバー‼︎』って驚いたよ。

思春期の『私だけ感』ってほんとに重要だからね。

 

それがハタチも過ぎ社会にも出れば、他人のリアクションも気になってるから、「いい大人が何言ってんの」って視線がツラくなってくる。

10代なら屈託なく『星野源好きー』って言えても20代も後半だと恥ずかしくもなるかー。

だけど、それも振り切ってしまえば楽しいよ。

そんな年代通り過ぎましたから(笑)

そういう屈折を捨てられるようになるのが歳をとるということなんだねー。

 

私は氷川きよしや韓流の追っかけやってるようなオバさん達に憧れる。

他人の目なんて気にせず好きなものは好きでいいじゃない。

まあ、イタいっちゃーイタいんだけど、人生長くないから楽しんだもの勝ち。

そう思えばいいんでしょう。

 

んーなんか話がズレた。

こんな話しがしたかったんだっけ?