朝ドラは金曜に最終回を迎えても、2日空けた月曜日には容赦なく新ドラマが始まるのがシビアだなぁと毎回思う。
民放の連ドラだと2週間くらいは空くのでしっかり余韻に浸れますから。
で、「らんまん」も始まって、「成長著しくなる前の金剛」くんも可愛いのですが、まだまだ「舞いあがれ!」の事を考えている。
色々レビューも上がるので「なるほど」とか「そうそう」と思いながら読んでます。
「舞いあがれ!」は決して「大傑作!」とは言いがたく、うまくいっていないところも多々あったけど、それでも「佳作」ではあったと思います。
いわゆる朝ドラセオリーを追わず、ここ数年はそういう作品が結構ありましたが、その中でもよく出来てたなぁと思うのです。
あるレビューで、なにわバードマン編で舞を「オタサーの姫」にしなかったのがよかったと書いていて、「そう!それ!!」と膝を打ちました。
ドラマ前の番宣では舞の周りの男性陣として、貴司や柏木とともに意味ありげに刈谷先輩を映していました。
ベタな展開だと、刈谷先輩は舞の初恋の相手だけど実らないということになりがちな立ち位置です。
けれど、バードマンのメンバーは舞がサークルに入っても貴重な女子だとベタにチヤホヤせず、本当にただ飛行機好きの仲間の1人として扱っていた。
後々、刈谷先輩は確かに舞の人生に大きな影響を与えるわけだけど、それは恋愛とかを一切はさまない、正に「同志」だった。
こういう描き方が凄く今どきで、でも意外とドラマでは無かった関係で、凄くセンスあるなぁと思ったのだ。
一方、航空学校編では一転して「オタサーの姫」化していて、それが本当にイラついた。
柏木はまだ「実らない初恋の相手」として意味があるけれど、吉田が舞を好きになるという設定はなんの必要があったのか。
仲間仲間と言いながら、6人班の4人の男性、しかも1人は既婚者なので、3人のうち2人が舞を好きになる。
吉田の母親のことを気遣う事で舞の優しさを描きたいのだとしても、そこに恋愛を挟むと別の意味が生まれてしまう。
確かに航空学校は圧倒的に男社会なのだけど、じゃあそこで舞が女性である事で苦労するかといえばそうでもなく、ただ「舞ちゃん舞ちゃん」と可愛がられ、そしてベタな「優秀ではないけど頑張り屋さんでドジっ子ヒロイン」となっていたのは本当に腹立たしかった。
ここまでの様子では舞はきちんと自分で努力して勉強できる人として描かれていたのに、航空学校編での舞は残念でしかない。
そして、ここで脚本家変更の失敗をハッキリと視聴者に見せてしまったのがこのドラマの最大のミスだと思う。
それでもメインの桑原氏に戻れば、サラッと今どきの、だけど朝ドラでは意外となかった描写になってホッとした。
結婚しても「舞ちゃん」「貴司くん」と呼び合っていたり、特に説明もなく舞が仕事上は岩倉姓を使っているところ、悠人が久留美の父に「結婚させてください」といったところ(何かのレビューで『娘さんを下さいと言ったシーンで』とあって、そんな言い方してない!と腹たった)、実は浩太よりめぐみのほうが経営者に向いていた様子、貴司の父が歩を産んだ舞に「うちの孫を産んでくれた」ではなく「この子に会わせてくれてありがとう」と言ったところ、などと一つ一つの描写が普通なようで繊細に選び抜かれている。
このドラマが「佳作」になったのは明らかに桑原氏の力量によるもので、「傑作」になりえなかったのは、桑原氏とあまりに合わないサブ脚本家をチョイスし、そしてすり合わせをきちんとしなかったからだ。
これからの朝ドラでもすでに複数脚本家が発表されているものもあるけれど、「舞いあがれ!」の失敗から学んでくれればなぁとしみじみ思います。
そういう意味でも「舞いあがれ!」は意味のあるものだったなと思いながら、まだまだひたっています。